紫陽花は雨の日や日陰で見た方が美しい。人生や人も同じかも。日に当たってるものだけが美しいわけではない。
手は口ほどにものを言う。その人の日常が出る部分。手はウソつけない。
アドリブが苦手な自分。あ〜あ再び。
愛があれば言葉はいらないなんてのは多分ウソで、愛は言葉を求める。言葉がいらなくなるのはその先の先。
行動が伴っていない言葉はいつか化けの皮が剥がれる。
いま、行き先を迷っているのはキミだけではない。誰であれ、答えは自分で最終判断していくしかない。
言うばっかりで行動の伴わない人は何を言っても説得力が乏しい。
社会全体で獲得して来た筈の富(とみ)の使い方を間違っていないか今の人間社会。
希望を語れる大人でありたい。
自信と慢心は紙一重。
僕は未来。我慢や心配事や諍い、嘘の少ないところが好きだよ。
「おもてなし」のような同加圧力の強い日本社会の生真面目さに時々すごく息が詰まる。
本物の貌(かお)をした偽物に気をつけろ!
水平線には今日も雲がかかり曖昧なままの、この20年間の日本。僕等に必要なのは霧を晴らそうとするよりその曖昧さに慣れることかも。
人相が濁ってくような歳の重ね方だけはしたくない。 ねえ政治家さん。
若かりし日 ひとり四畳半ひと間のアパートに 吹きすさぶ北風の音 あれこそ詩
地平線とその先を広く見渡せば、心が青空ばかりというのもある種の鈍感。
人生という波のるサーファーとしては まだまだですな私。
大気圏を離れれば音は消え重力圏を離れれば上下は消え太陽系を離れれば時間の単位は消える。そんな物差しが消えたところから もう一度地球に戻ってきたら何が見える?
疑問をぶつけ続けるほど若くはないし 他者にさとすほど年老いてもいない。 目の前の課題を問い続けてくしか出来ない身。 すれ違いはしょっちゅうだけどさw
雨の分子式 海水の分子式 南極の氷山の分子式 水道水の分子式 夕べ流した涙の分子式。 分子式に書けないところでいのちがあらわれる
人生には快晴なんてわずか。 それに耐え切れずアルコールをあおれば 翌朝には灰色の雲が低くたれ込む体調に。そんな日は雲が少しでも晴れれば それだけでシアワセw
若い頃には快晴の日々を求めていたがそんな日はたまに、しかも一瞬しかないことを知った今では曇りの日もまた楽し。
いつか沈黙が語る言葉を書いてみたい。沈黙とはほど遠く活動的で未だ未だなオレ。 道は遠いw
子育て20年。過ぎてしまえばあっという間。子どもの成長とともに色んなものが次から次へとやって来ては去っていったよ、かけがえのない。
選挙中。 寝ている赤ちゃんがいたら目を覚ましそうなデカイボリュームで、 子育てを応援します!って叫ばれてもなあ…。
日本では、怒らないためのテクニック本がベストセラー。日本では、年間3万人が自死してる。何かがおかしくねーか?
「もし私を愛しているのなら私の全てを受け入れて」とキミは当然のように言うけど、そもそも互いのエゴを譲り合う気持ちが無くちゃ関係そのものが続くわけないよ。
母親の欠点をあげつらってる女性の約9割は親娘でそっくりな性格と見ていい(笑)
霧の中にいる時にはその事に気づけない。 霧が晴れた後に、今まで自分が霧の中にいたことが見えてくる。